失われた郷土芸能「長蔵音頭」復活!物語

高梁には、「松山踊り」や「備中神楽」などの有名な盆踊りや伝統芸能がありますが、その裏側で、生活の変化や過疎化に伴い、人知れず失われていく郷土芸能があります。

高梁市の有漢町へ、2017年4月に地域おこし協力隊として赴任した土生 裕(はぶ ひろし)さん。
高梁へくる前は、音楽や芸能の仕事に携わっていたという土生さんは、
有漢町で古くから伝わる芸能について調べ、
ついに10年以上前に失われてしまっていた「長蔵音頭」を復活させました。
今回は、この「長蔵音頭」を復活させるに至った経緯について、お伺いしました。

-「長蔵音頭」というものを復活させたということですが、そもそものきっかけは?
「芸能について興味があり、そういった芸能が有漢にあるのか探していました。
最初は、有漢町には古い芸能は残っていないと言われましたが、
調べていくうちに、「長蔵音頭」というものがあると知って、
「有漢の民俗」という本の中で、「祇園踊り」のような盆踊りである「長蔵音頭」があったことが分かりました。
その本を編集された秋葉(あきば)先生と蛭田(ひるた)先生がまだご存命ということで、お二人に会いに行きました。
けれども、そのお二人も「長蔵音頭」を、歌うことができなかった。
有漢で、もしかしたら資料を持っている方がいるかもしれないと、さらに調べましたが、
みんな知らないし、歌えないし、資料もない。
もう復活させることは無理なのか・・・と思っていた時に、ある方が、
「そういえば隣の巨瀬町の祇園踊りの四つ拍子と同じだったな~」とおっしゃったんです!」

有漢の歴史や芸能、民俗について書かれた2冊。
高梁図書館で借りれます。

「それまでは、ただの有漢町固有の音頭だと思っていましたが、
有漢町だけでなく、巨瀬町、中津井、津川・・・といったあたり全域で踊られていた四つ拍子というものが主体となって「長蔵音頭」というものができていたようです。
そもそも、かつてそこらへん一帯が同じ文化圏で、「中房(ちゅうぼう)」と呼ばれていました。
その中心としてあった「祇園寺」に残っていた記録を基に、
祇園踊り保存会の四つ拍子に、長蔵音頭の歌詞を当てはめて、「長蔵音頭」を再現しました。」

こうして、再現された「長蔵音頭」。
お盆も間近に迫る中、土生さんは、もう一度蛭田先生のところへ赴き、「長蔵音頭」を歌ったそうです。

「蛭田先生に、「これ、長蔵音頭ですよね?これで、間違えないですよね?」と聞いたら、すごい嬉しそうな顔をして、「そう、そんな感じ」って。
「もう、土生君の好きなようにやっちゃってください」って。」

川関の納涼祭でかけられていた提灯。
長蔵音頭がなくなっても、提灯はかけられていた。

そして、2017年8月14日。
「長蔵音頭」の本場であった有漢町川関地区の納涼祭。
「綱島長蔵音頭」と書かれた赤い提灯が下がる中、「長蔵音頭」が十数年振りに演奏されました。

「川関の方に「まさにこれじゃ!」と言われました。
それから、9月10日には、愛らぶ高梁ふれあい市場で、音頭と踊りを披露しました。
そこには、ちょうど祇園踊り保存会の方もいて、一緒に踊っていただきました。
有漢町の皆さんには納涼祭の時にオッケーをもらっていたけど、祇園踊りの方はどうなのか?
そうしたら、祇園踊り保存会の方がすごい踊りやすかったと。歌詞も長蔵音頭の方がいいとも言ってくれました。
これはもう、巨瀬も有漢も納得だし、これで復活できたなと。」

-復活させた後、いろんなところで演奏していると思いますが、反応はいかがですか?
「どこでやっても反応はいいです。これだけ魅力的な節回しをもった音頭は、財産ですからね。
やっぱり音頭というのは、生きていく上では何の足しにはならないけれど、
ただ仕事をしていればそこに住めるかっていうとそうでもなくて。
やっぱりその土地で生きていくことが、楽しいとか美しいとか感じてないと、
ずっとそこに住もうということにはならないかなって思うんです。
だから、長蔵音頭のような、みんなが楽しめるような共通のものがあるのは、その土地の宝です。」

「長蔵音頭」初披露。土生さんが太鼓を叩きながら音頭を取り、
お囃子と篠笛がはいっての演奏でした。

「昔はもっと歌や踊りが身近にあって、みんなが集まる宴では、一人が歌いだしたら誰かが合いの手をいれて踊って・・・。
そうやって、宴でみんなが食べながら呑みながら楽しむことで、人との繋がりがうまれたり、明日の活力になったりしていました。
実際、今でもそういう風な土地にしたいと思ったときに、目の前の人たちと楽しんでいれば、そういうノリが広がっていくんじゃないかな。」

-それでは今後の「長蔵音頭」については、どうでしょうか?
「今年は、有漢町の皆さんや子供たちにも教えて、盆踊りで一緒に踊りたいです。
そして、もっと広い地域の中房っていう概念があったように、
有漢の人たちが巨瀬に行って踊ったり、そんな各地域同士の交流が出来たら楽しいと思います。
それから、歌詞も変えたっていいと思います。
一度途切れてしまったので、もう一度再生しなおさなくてはいけない。
例えば、小学生の子供たちに綱島長蔵の歴史を学んでもらって、
今の子供たちが感じた言葉で作詞してもらう。そして、子供も大人もみんなで歌って踊る。
そうすると、すべてが生き返ります。
だから「長蔵音頭」は、世代、地域、上下左右、全てを超えていくツールになっていけばいいと思います。」

中房の中心であった祇園寺にて。

-それにしても、すごいタイミングで復活できましたね。
「そう、10数年前になくなってしまったから、もう再生は無理だって言われたんです。
四つ拍子と同じ踊り方だってわかった時も、色んな四つ拍子がありましたから。
だから、これを未来につなげる、今を滅びさせない。
そして、こういう郷土芸能をつなげていくのも、今の時代にあったやり方があると思うので、
今の社会構造でできる限りやりたいと思っています。
そして、つないでいった未来のことは、次の世代が考えてくれるでしょう。」

いろんな奇跡が積み重なって復活した長蔵音頭。
川関の歴史を伝え、音頭と踊りで生活を彩り、人々をつなげる。
昔も今も色あせない、高梁の重要な郷土芸能だと思います。
高梁の宝として、これからも歌い踊り継がれて行くことを願います。

YouTube
綱島長蔵音頭・復活!!!
https://www.youtube.com/watch?v=H8F8oEutd-E

取材・記事 西原千織