田舎暮らしというと、やはり自給自足の生活を目指したい!
そして、出来れば、生活の中の必需品であるエネルギーも自然の力を利用出来たら・・・
と、思う方も多いのではないでしょうか?
高梁には、そんな自然の、「水」の力を利用して水車を回し電気も起こしている!
さらには、同じく水の力を利用して動くカラクリ人形も作っている!!
という方がいらっしゃると知りました。水車も作るし、カラクリ人形も作る・・・。
これは、きっと面白い人に違いない!!と、インタビューをさせていただくことにしました。
今回、お話をうかがったのは、坂本 年生(さかもと としお)さん。
高梁市川面町のご自宅に6人兄弟の長男として生まれ育ち、今年で御年77歳。
まずは、子供の頃のお話。どんな子供時代を過ごされたのでしょうか?
「子供(幼児)の時代は、農業でも桑で、養蚕。
この部屋なんかいっぱい蚕の棚があった。
それから戦後、学校に行くようになってからは、たばこ。
そのほかにも米作りや、山の木を切って燃料として出していたんよ。」
そんな家業のなかで育った年生さん。
父親の仕事道具などがたくさんある蔵が、当時の遊び場だったそう。
「おやじの蔵に入っては、きりきりと木を切ったり、形を作ったりするのが好きでね。
だから、しょっちゅうしかられた(笑)。そんなのが子供の遊びで。
いざりぐるま(木製の四輪車、坂などで転がして動かす)やら、遊ぶおもちゃは全部自分で作った。」
そんなものづくり大好き少年だった年生さんが、小学校6年生の時。
発明コンクールで作った「木の電気スタンド」が金賞をとります。
「ちょうど木の株に虫食いの穴が開いていて、その中にコードを通して電気がつくという施工をこしらえた。
木もいい塩梅に曲がっていてね。そのスタンドが金賞をとったときは、もううれしゅうて・・・。
『いつか発明家になりたい!』と。それが夢だったんです。」
そんな夢を胸に抱きながら、会社勤めをし、迎えた定年後。
ようやく時間ができ、夢を叶える時が来たとばかりに、年生さんは動き始めます。
「戦前、戦後30年頃までは、川の流れを利用するというのは、当たり前にあった。水車を回して、米をつく、粉をひく・・・。
それが、30年以降、化石燃料から電気にかわっていって、そのことが、忘れられてしまった。
けれども、これをなんとか活かしたい!というのが、わたしの長年の懸案であり、何に利用するのか?というのは、電気を起こしたい!ということでした。」
そして、定年後の平成22年。
川の流れを利用して、水車を回し、自転車のリーム(ダイナモ)を使って、発電を始めます。
「水車を回して、発電できるのは理論的に理解できる。
けれど、川から離れた我が家(120メートルくらい)に、本気で電気がくるのかどうか?それが疑問だった。
そして、最初のテスト。水車を回して、延長コードをいーっぱいつないで、家の門先へ電気がつくようにしたら、ポヤ~っと電気がついた。やったー!!って。
それが忘れられない。こうやって、我が家に電気が届く。これが自信になりました。」
それから、水車を試行錯誤を重ねて改良していた中、起こった東日本大震災。
そのニュースを見た、年生さんは自分のやっていることは間違いでない、と確信したといいます。
「このエネルギーを使えば、自然も壊さない、水も汚さない、原子力もいらない。 なぜ、この理屈を活かさないのだ?!」と。
そして今年。
年生さんの水車やカラクリをみて、自分もやりたい!という仲間が増え、
そんな仲間に誘われて、中津井(真庭市)のカラクリ祭りへ参加が決まり、カラクリ人形を作ります。
「実はね、このカラクリ人形、嫁入り先が決まったんよ。」
嬉しそうに見せてくれた年生さんのカラクリ人形。
どうやら、近々、高梁の保育園に設置されることになったそうです。
「このカラクリ人形をお祭りで展示していた時に、椅子を並べてずっとみている夫婦がおった。 坂本さん、癒されます~って(笑)。そんな魅力がカラクリ人形にはあるんだな~。」
確かに、カラクリ人形の微妙な間や動きというのは、いつまでみていても飽きません。
流れる川の力で、カタンコトン・・・と動くカラクリ人形。
空や山や川や海を、いつまでもみていられるのと同じように、
人の心を惹き付ける何かがあると思うのは、私だけでしょうか?
すっかり、水車とカラクリに魅せられてしまった私は、
今度引っ越すときは、水車が回せる川や水路のあるところにしようと心に決め、
年生さん宅からおいとましようとすると、
「実はね、発明家の夢もかなったんよ。」
と!本日、二度目の「実はね」告白が!!
気になる!気になります!!
ということで、年生さんへのインタビュー。
今回だけでは、終われませんでした。
次回は、
坂本年生さん vol.2「発明品・方言集の出版」編
をお届けしたいと思います。
どうぞ、お楽しみに~!
取材記事 西原千織