〜べんがら染め職人 鎌田英一さん(松原町)〜
高梁市成羽町にある吹屋地域は、かつて鉄鋼業で栄え、その副産物として生成されていた「べんがら」という顔料は、その当時、国内でもとても良質なものとして有名でした。
現在でも「べんがら」は、色や防腐剤として建築材に使われたり、陶器の色付けに使われています。
3年前、地域おこし協力隊として高梁に移り住んだ鎌田英一(かまた えいいち)さんは、このべんがらを使った染め物「べんがら染め」に魅了され、「ハコニワ」という名前で新しいべんがら染めの世界を作り出している、高梁でも注目の人物。
今回は、そんな鎌田さんにお話を伺いました。
――鎌田さんとべんがらとの出会いは?
高梁市の地域おこし協力隊に応募したときに、吹屋に「べんがら」という染め物があるよ、とは聞いていました。
ただ当時は、藍染めをやりたかったので、全然頭に入ってなくて。べんがらに出会ったのは、こっちに来てから。
偶然出逢った、という感じです。運命だと思い込んでいます(笑)
――べんがら染めを最初に見た時、どう思いましたか?
なんじゃこりゃ?!と思いました。染め方が他のものと全く違う!
よく調べてみると、これは、染料じゃなくて顔料だったのです。
――顔料?
簡単に説明すると、水に溶けるのが染料、溶けないのが顔料です。
細かい話なんですが、これまでやってきた藍染めや草木染とは、全くやり方が異なります。
化学染料でも天然染料でも、染めるとなると、染料が浸透しやすいように生地を湿らすのですが、べんがら染めの場合は、乾いてないといけません。
乾いた布にべんがらをこすりつけて定着させていく。
だから、「べんがら染め」と言いますが、染まってるんじゃなく、生地にべんがらをくっつけている、というのが正しい表現になりますね。
――誰かに教わったりしましたか?
べんがら保存会のみなさんに最初は教わりました。
他の染色だとネットで調べたらたくさんの方がやっています。
でも、べんがらになるとひとつもヒットしません。
その点、吹屋では染色技術が残っていたので、とてもありがたかったです。
もし皆さんが残してくださっていなければ、そもそもべんがらと出逢うことすらできませんでしたからね。
――べんがら染めで苦労したことは?
苦労はずっとしています。ずっと苦労しっぱなしです(笑)。
理屈がわからないと、染色技術を応用したり、人に伝えることができません。
だから、ひとつずつ疑問点をデータを取って解消していきます。
でも、それがあったから少しずつ「ハコニワ」のべんがら染めが構築できました。
答えはないので、日々研究です。しんどいけど楽しい!
――藍染めからべんがら染めへ、方向転換してどうですか?
楽しいです!べんがらのすごくいいところって、色落ちしにくいんです。ということは、お客さんに長く着てもらえる。
ざっくり言うと化学染料で染めた服と同じ感覚で扱ってもらえる。それって、すごく素敵なことだなって思います。間口が広いから、たくさんの方に見て頂ける。
そこが、べんがら染めに興味を持ったきっかけでもあります。
――でも、(見ていると)染めるの大変ですよね?
そう、すごく大変!なんでやっている人が少ないかわかった(笑)。
染める工程としては、下処理をして染料を作ったら、藍染めや草木染は、そこに生地を浸せば染まっていく。
でも、べんがらは浸しただけでは染まらないので、ひとつずつこすって色を定着させていく。
――ひとつずつですか?!一気に染められないんですね。
そうなんです。
最近、「染め筋」がついてきました!体力勝負なんですよ~。
ハコニワで大切にしていることなのですが、私たちは気持ちのこもったものを感じる力を持っていると思っています。
染めている間、使ってもらう人のことを考えて、きれい染めてみせようと、
ずっとその人のことを考えながら染めています。その想いは伝わると信じています。
洗うのも洗濯機で洗うと色がきれいにならないので、手洗い。だけど、そうやって自分の心をのせられるっていうのがすごくいいなと思っています。
―― ひとつひとつの生地に、時間をかけて心を乗せて、べんがら染めをする鎌田さん。
そうやって染められたべんがら染めは、大量生産できません。。
世間では、安価で手に入りやすい服が当たり前のように溢れていますが、そんな中でも、一着でもいいので、手間暇のかかった服を手に入れてほしいとおっしゃいます。
お母さんのごはんを思い出してください。
「おふくろの味」っていいますよね。
味云々でなく、心が美味しい。ほっこりする。
それは料理だけの話ではなく、身の回りもものすべてに通じます。
お気に入りの服を着ていると、心がウキウキするでしょう?
ハコニワはそんな服を作りたいです。
「おふくろの味」のような心のこもった、着る方の心が軽やかになるような服を作りたいです。
――移住してから3年。生活はどうですか?
色んなことがありましたね~。
来た当初は、夜暗ーい!とか、音がなーい!とか(笑)。でも、畑出来るし!とかね。
引っ越した当初は「田舎暮らし」をしている自分を楽しんでいました。
でも、最近は、都会や地方は関係ないと思っています。
やりたいことが大切じゃないかと。
それによって、高梁が魅力的に映る人もいれば、そうでない人もいるでしょう。
やりたいことは何か。それによって拠点は必然的に決まって来るのではないでしょうか。
――都会にいても田舎にいても、自分次第ってことですね。
そうですね。
僕はべんがらのことだけを考えよう、って決めました。
それが出来ればどこでもいいし、出来る場所が自分にとって素敵な場所なんです。
みんな色んな価値観があると思うけど、僕にとっては染められる環境かどうかが基準です。
「どこでもいい」っていうのは「どうでもいい」って聞こえがちだけど、そうじゃない。
自分が住んでいる土地っていうのも、巡り合わせだと思います。僕はご縁があって高梁に辿り着きました。
わらしべ長者のようなもので、自分の起こした小さなアクションが、巡り巡って現在に行きついていると感じます。
大げさでなく、今まで出逢ったたくさんの方々のお陰で、僕は高梁に辿りつけました。ありがたいですね。
――移住や田舎暮らしをしたいっていう人の中には、「これがやりたい!」でなく、「ただ何となく・・・」で考えている人もいると思いますが、どう思いますか?
ただ何となくでいいと思う。それこそ住む土地や家にしても、最初から100%の理想なんてないです。
ゆるくやって、見つかったらラッキーくらいに思っていた方が探す楽しみもありますね。
でも、色んな市区町村があるから、ここは自分に合っているかも・・・と、探すのは大切だと思います。
今は、ネットなり雑誌なりでいくらでも探せますからね。
――「夢がない」とか、「やりたいことが分からない」とか、そういう人たちもいますが、どう思いますか?
僕もそうでした(笑)。自分がずーっとわかんなかった。
やりたいことをやっていいってことすらも分かりませんでしたよ。
だから、今はそういう若者に向けて、背中を押せるような存在になれたらな、って。
大分先の目標ですが(笑)。
高梁へ移住をし、「べんがら染め」に出会い、自分が生きていく「強み」を手に入れた鎌田さん。
田舎暮らしの良いところも悪いところも噛みしめながら、その土地に与えられ支えられ、新しい世界を創り出していく。
一見、とても難しいことのように見えますが、どこにいても自分次第で世界は変えられるのだなと、お話を聞いて感じました。
移住を考えるということは、これまでの自分の生活や働き方、生き方を考える、きっかけの一つに過ぎないのかもしれません。
誰もが、よりよく自分らしい生き方や幸せを手に入れたい。
移住という道を選択したことで、開かれた道、そしてこれから切り開いていく道の一つを体現していこうとする鎌田さん。
鎌田さんがこれから創り出してく「べんがら染め」の世界は、一体どんなものになっていくのだろう・・・と、わくわくしました。
取材・記事 西原千織