年が明けたので高梁市宇治町のたかうね桜の森公園に登り、いわゆる初日の出というものを観察した。これはなかなか、薄暗い空の向こうがぼんやりと朱に染まってゆく様が情景的である。ついに日が完全に昇り切ったときにはところ構わず感嘆の声が上がった。
これは新年早々気分の良いものである。家に帰って昼から酒飲んで寝ようと思って頬を緩めていると後ろから声をかけてきた人がいる。
「もう朝は食べたのか」
という。無論ここでいう「朝」というのは朝食のことである。自分は既に終えてきているのであるが、「まあ、食べたには食べましたが」と不明瞭に言って回答を濁した。そこに食物の香りを嗅いだのである。
果たしてその男性は、「じゃあうちで雑煮でも食べればいい」と言うやいなや家で待っているらしいお母さんに電話をかけ餅を煮ておくように、とさっさと手配を済ませてしまった。
しかし正直に告白すればこの時自分はそれほどぞっとしてもいなかったのである。何となれば自分は雑煮というものをそれほど好んでいないからである。
醤油で味付けされた汁。鶏肉。ほうれん草。大根にんじん。焼けた角餅。具材を想像してもあまり食指は動かない。もともと自分は、餅というものに特別の価値を見出してはいない。よって雑煮もただのすまし汁に過ぎないのであって、ごちそうになる立場で非常に恐縮なのだけれども、そうわくわくもしないのである。
それで、まあそういう気持ちであったこともあり、道が凍結しているやもしれぬし、急いで行って事故に遭ってもつまらないからのんびり誘ってくれた人の家に行ったのであるが、そこで出されたのが雑煮とは煮ても、もとい似ても似つかぬ豪華な汁物である。
貝が乗っている。更にブリの、照り焼きにされた切り身まで見える。
これは贅沢である。
餅が三枚、椀の底に沈められていることから見てもこれは雑煮で間違いはないのであろうが、それにしても関東出身の自分のこれまで食べてきたものとは大違いである。
「こりゃあずいぶん豪勢ですね」そういう自分の声に家人はただ首を傾げているのみである。
どういうつもりなのだか分からぬが、据え膳食わぬは恥ずべきであるから、自分は箸をつけたのである。
おいしい。
そりゃそうである。こんなに贅沢食材で美味でないはずもない。
しかし気になるのはその具。どうしてこうも雑煮の解釈が自分と高梁市の人とで異なるのか。
帰宅後調べる。
すると判明したのは、雑煮というものは各家庭、及び地域によってだいぶん様相が異なるものであるそうである。
つまり、関東で雑煮といえば四角い切り餅の焼いたものと、そのほかほうれん草、大根、にんじん、三つ葉、等々を醤油で味付けした汁で調味したものなのだが、高梁の場合はブリ(多くの場合照り焼きらしい)、ホタテ等の海産物を煮込み白味噌で味付けしたものを指すそうなのである。
そもそも雑煮というものは、その由来からして諸説あり、中にはもともと畑作社会では餅を雑煮に使うのは禁忌、みたいな地域もあったのが徐々に変化していった、というような説もあって調べてみると面白い。
※ちなみにこれは、米を作るのに不向きな畑作地域では、つまり米=餅は外来の食物であり、儀礼の色が強い雑煮にそのような外界の食物を使用することが忌避されていた、ということらしい。
高梁は米も作れるから問題ないね。
そもそもの起こりからして定かでなくいろいろの推測がなされるくらいであれば今日の多様性にも容易に頷ける。
面白いのは、例えば香川の雑煮。白味噌で、なんとあんこ入りの餅が入っているらしい。
あんこ。白味噌に。食べるとけっこうおいしいらしいと聞く。確かにおいしそうにも見える。今度食べてみたいと思う。
ちなみに高梁の雑煮がこうも海鮮色ゆたかなのはどうしてかと聞いてみたら、「山の上だと普段は海のものが食べられない。だから、正月っていう特別な日だけは食べたいじゃんって昔の人が思ったんじゃないの」との回答が。
なるほど。でもこの回答、上述の外来食物の使用が忌避された、という話と突き合わせてみると齟齬があるようである。謎だ。
今後、民俗学的見地から検証してみたいと思う。